最近授業のあいまの休憩時間に生徒とトランプの神経衰弱をやってみました。カードを2枚めくって同じ数字ならカードを取れる、という単純なゲームですが、カードを裏返しに戻してしまうとすぐにわからなくなってしまいます。どの数字のカードがどこにあったのか…
やはり生徒のほうが脳みそが柔らかく、たくさんのカードを覚えていて次々にカードを取っていきます。私も子供の頃は得意だったはずなのですが…
人生の後半に来て、記憶力の低下を確実に感じます。誰でも年齢とともに物覚えが悪くなり物忘れが増えると言いますが、まったくその通りだと実感します。
ただ、多くの人が、子供の頃のことや若い頃のことは覚えていると言います。
なぜなのか、不思議です。
歳を取って「大切なことだから忘れないようにしよう!」と頑張っても忘れてしまうのは、寂しく悲しいことです。そんな時、古くて懐かしい思い出がなぐさめてくれるように感じます。誰でも思い出話が好きですよね。
言葉はごく幼い時から長い年月をかけて身につけ覚えたものですから、すっかり忘れてしまうということは無いでしょう。
…と安心していたら、思わぬ問題があることに気づかされました。
日本に多くの外国人が住み、永住する人も増えてきました。また、海外へ移住する日本人もいます。
平均寿命が延び、高齢者が増え、認知症の人も増えています。
ある女性は国際結婚で日本に来て、30歳くらいで日本語を学び、ずっと日本で暮らしてきたそうです。その女性が高齢になり認知症になって日本語を忘れてしまったというのです。永く離れた母国にはもう戻る場所はありません。色々なことを忘れていく悲しみの中、理解できない言葉の中で暮らすのはどんなに不安でしょう。
言葉を忘れてしまうこともあるんだ--私には衝撃でした。
認知症の予防や治療技術の進歩を切実に望む気持ちが高まります。
今ぐるりっとに通い日本語を学んでいる生徒達はこの先どんな人生を歩むのでしょう。幼くして日本に来て、母語といえる言葉が十分に出来ていない子供もいます。彼ら彼女らにとってよりどころとなる言葉は何なのか。誰にもひとつはよりどころとなる言葉が必要なのではないか。
願わくば今学習している言葉が、出来るだけ彼ら彼女らに深く永く刻まれますように。努力して覚えた言葉たちが、彼ら彼女らを助けますように。
(SI)