一昨年春頃にすっかり忘れていた大田区立宇佐美擁護学園で一緒に生活した仲間から同窓会の
連絡があり、60年ぶりに再会する機会があった。
宇佐美擁護学園は大田区内小学生で体の弱い生徒が体力回復のため海山の近接する自然豊かな
小高い丘陵地で共同生活する施設だったが、私は3年生時の半年間、大好きな昆虫・植物採集
に明け暮れ、大いに学園生活をエンジョイする事が出来た。
同窓会には懐かしい顔が10数名と当時の女性教師も参加され昔話に花が咲き『宇佐美会』と
命名され、三ヶ月毎に開催する様になった。今は施設は無くなったが、皆の一度、宇佐美を
尋ねてみたい強い要望で宇佐美旅行を計画した。
熱海から各駅電車で20分、網代駅から宇佐美トンネルを抜けると山間に黄色い蜜柑畑、反対
の車窓は大海原が広がっておりおぼろげな記憶がよみがえってきた。宇佐美駅で同窓仲間と
落合い、昔のままの駅舎の藤棚を眺め、駅から一望出来た海原は民家が立並びちょっとしか
見えなかったが懐かしかった。
駅から昔、ドジョウ取り、蛍狩りをした田圃だった道は家屋が立ち並び変わってしまったが
川沿いの道を山方向に上がり、近くの寺の住職に宇佐美学園までの道を尋ねたところ、廃園
になってからは学園までの道は無くなり、参道からの近道を教えてもらった。
子供の頃の記憶では学園までの坂道は細く入り組んで薄暗く、木の根が道に露出し歩きずら
く遠く感じたが、参道からの近道は大人の足であっという間に小高い丘にあった宇佐美学園
跡地に到着できた。そこには『大田区立宇佐美擁護学園』とかろうじて読める錆びついた給
水塔が残っているだけだった。皆で遊んだ校庭は孟宗竹が生い茂り海への視界を遮り、学園
入口と思われるコンクリ片には雑木が生い茂り年月の経過を感じた。
学園跡地の前方に県道があり視界も開け、そこにはたわわに実ったミカン畑、後方に山々が
そびえ、前方に大海原と天使岩が海から覗いており、昔のままの景色がそこにあった。
我々は夕焼けの海を眺めながら思い出深かった学園生活をゆっくりと感傷に浸っていた。
(㏍)