私が最初に日本語を教えた生徒はラジットさんというインド人の青年で、
日本語の学習にまっすぐに取り組んでくれる とても教えやすい生徒でした。
それにマンツーマンでしたから、じっくり取り組むことができました。
でもそのころの私は「これ」と「この」の仕訳もちゃんと出来ず、
教案を見た私の指導担当の方に こっぴどく叱られた記憶があります。
叱られたというより「どこが悪いか分かりますか?」と問われたのですが、
どこが間違っているのかすら分りませんでした。
今思えば「教授法」の当たり前の事が出来ていなかったのです。
以前このブログで[例文]の大切さを書いたことがあるのですが、私はその
例文に まだ教えていない事も混ぜこぜにして書いていました。
日本語を教える時、教師は先の事をちゃんと踏まえ、生徒が理解出来る様
丁寧に文型を積み重ねていってあげなくてはなりません。
教科書があれは その教科書通りでよいかもしれませんが、生徒の反応を見て、
理解出来ていないなと感じたら、教科書を離れてでもその隙間を埋めていかねば
なりません。生徒が何人もいたら 新米の私は 生徒の疑問や不安を推し量る、
ましてや後戻りして教えるなんてこと出来なかったと思います。
また教案をきちんと作っても、授業での「教案」はセリフではない訳で、
あれこれ説明や会話をしているうちに、段々余計な日本語を使ってしゃべって
しまい、生徒を混乱させてしまいがちです。ラジットさんには申し訳なかった
けど、笑ってごまかせって時も多々あったような・・・
それでも少しずつ、言葉を選んで話すという訓練をさせて頂けたことは有難い
ことでした。
また一人の生徒を 初級の最初から最後まで丁寧に教えられたことは、
その後の私の大切な財産になっています。
ラジットさんの事を思い出したのは、先日Facebookに彼のお誕生日の表示が
あったからです。でもここ数年彼のFacebookは更新されていません。
2012年か13年ころ 夫がベネスエラに赴任していたころ、偶然チャットが繋がって
話したのが最後です。 「やぁ先生 私はいまドミニカの修道院にいます。
近いですね~ 遊びに来てください。」と。
彼は Missionarites of Charity(神の愛の宣教者会:マザーテレサ創設) の
ブラザーです。 ずいぶん頑張って日本語を学習し 漢字もたくさん覚えたのに…
今はどこの国で活動しているのでしょう。ラジットさんが日本で過ごした山谷の
修道会を一度お訪ねして、彼の足跡を尋ねたい想いにかられています。
当時ラジットさんは、上野公園や隅田川沿いでホームレスの支援活動をしており、
宿題に「ホームレスのおじさん達にインタビュー」(3人分)を出したのはいい
アイディアだったなと今でも自負しています。
「①なまえはなんですか? ②しゅみはなんですか?」
この2つだけでしたのに、おじさん達が自らラジットさんのノートに色々書いて
くれて、それも何人分もあって笑ってしまいました。
ラジットさんが人気者になれたのではと嬉しさでいっぱいになりました。
蛇足ですが、ぐるりっとの生徒達もクラスに溶け込めるよう、延いては
日本が好きになってくれるよう願いながらこの活動を続けています。
[ET]