この秋、コロナで行けなくなってしまっていた古巣スペインを訪ねる旅に出かけました。
3年前に購入したエアチケットの有効期限が迫ってきたためです。フライトはいくつかの都市を経由しながらの旅で、最初に降り立ったのはイスタンブール。亡き友が見たという素晴らしい夕日を見たかったからです。そしてビザンチンやオスマントルコ帝国の栄華のなごりを。
到着した翌日 ガイドさんに徒歩でモスクや宮殿・賑わうバザール等を案内してもらいました。バシャさんは40代くらいのシャキシャキした方で、少し早口ではありましたが(長音を曖昧にしてしまっている)、それ以外は完璧な日本語で応対してくださり感心しました。
しかしそのバシャさんに「日本語!忘れそうです…日本人が来ない。もっと日本からいらっしゃって頂きたいです。」と気になることを言われました。
イスタンブールは東洋と西洋が交わる地。ホテルや観光の列には若いアジア人のグループ・年配の欧米人のグループの他、黒海周辺の国々の方も多く見受けられました。でもバシャさんはこの後3週間先まで日本語のガイドの仕事がなく、日本語では生活できないと深刻な表情でした。
また別の日、夫とフラッと覗いたお土産物屋さんのオーナーに流ちょうな日本語で話しかけられました。「日本の方ですか。日本語話すの久振りです。」 コロナ禍でイスタンブールに戻ったけれど、来年は日本に帰るよと言うオスマンさん。東京ではトルコ料理を教えているそうで、「私、手がはやいから生徒さんに人気がありますネ。」とちょっと自慢げ。
それやばくない?私はどうしても気になって、「あのぅそこは『手がはやい』といと言うより…『手ばやい』とか『手早く料理をする』あるいは『手順よく』と言ったほうが…」
オスマンさんは意味を聞いてワッハッハと大笑い。10年以上日本に住んでいて家も持っているけれど日本語は勉強したことがなく、全部耳から学んだとのことでした。偉いなと思ったのは、私の言ったことをすぐに携帯に入れて確認されていたことでした。
旧市街の喧騒を離れケンビンスキー宮殿を訪れますと、そこはボスボラス海峡を望む絶景のロケーションにありました。ヨーロッパ側とアジア側を繋ぐ大橋、行き交う大小の船々々、そして旧市街地の向こうへ落ちてゆく夕日。やがてトプカプ宮殿やモスクのシルエットが浮かびあがりドラマチックな日没を迎えました。
(ET)