私のボランティア活動の原点は学生の時に、小学校高学年の子供や中学生とキャンプ等の野外活動を経験したことにある。当時の子供達も昨年還暦を迎え、今も交流が続いている。
私は小学校低・中学年の子どもに教えた経験がなく、当会でも同年代の担当はしてこなかったが、昨年担当する機会を得た。個性的で、はじめは言うことを聞いてもらえなかったり、集中力が続かず授業にならないこともしばしばあった。しかし、回数を重ねるうちに気心が知れてくると、どうしたらいいのかが少しずつ分かってきた。
子どもからのメッセージがあった場合は、これをしっかり受け止めて彼らに分かるように応えるようにした。子供なりに大人を見ており、なかなか厳しく見ている。半面、子どもは表現力が限られるため、うまく言えないことがある時は助け船を出すようにした。
興味のないことや飽きた場合は、机の下に隠れ、床で勉強を始めたこともあった。その時は無理しないで機会を改めてチャレンジした。
面倒くさそうなことはやりたがらなかった。好きな算数は黙っててもやるが、日本語の文章は読もうとしない。苦手なことと得意なことを抱き合わせの問題をやってみた。算数の文章題をやってみたところ、文章も読むようになった。興味のないことも少しずつ取り入れたり、気持ちが乗るとスムーズにいった。苦手な漢字は気分が乗った時に集中的にやった。
また、ことばは出来るだけ、具体的な物、動作と一緒に教えるようにした。目の前にあるものを覚えてから、教科書で使い方を教えた。例えば、体部位は、はじめに動作つき歌を一緒に歌いながら、部位を指でさしながら覚える。覚えたら、はやく歌ったり、身体の部位を変える等変化をつける・・・・。言葉は五官や体を使って覚えるようにした。身体を使うことの度が過ぎて危いと思われた場合は、その場で、エールを送る思いで強く注意した。
それでは、子供達は何のために日本語教室に来るのだろうか。特に小学校低学年の場合は、親に言われるから、先生に言われるから、友達がいるから・・・。もちろん、当会に通う子供達の多くは日本語を一生懸命に勉強している。区のスピーチコンテストで表彰された子供もいる。今回、私が取り上げたのは、なかなかスムーズにいかない子どもだ。教え始めてから3か月位経った頃、子どもの方から話があり、「教室のルール」を作成し、授業の始めに前にルールを一緒に読むようにした。それ以降、時間の約束等ルールを守るようになった。そして、自発的に本を選んで音読することも見られるようになった。子どもの成長に伴い、自主性を尊重し、育てていくことが大切だと改めて思った。
これらの経験を通して、子供達が何を求めていたのかを考えさせられた。彼らは幼いなりに自分自身の思いを実現するため、少しでもいい環境(場所、人間関係)、居場所をさがしていたのではないか。その為には日本語でのコミュニケーション力が不可欠だ。これからも子供達の日本語を応援できればと思う。
(TM)