ドラマや映画に出てくるキャリアウーマンが、パパパッと文書を作るのにあこがれて
英文タイプライターの教室に行った。
おかげでブラインドタッチ(キーを見なくても打てるワザ)ができるようになった。
映画の中のデキる女と違って、パパパッというわけにはいかなかったが、
それなりだった。
就職した会社には、りっぱな電動タイプライターがあった。
習ったことを生かせると思ったが、期待に反して、そこで求められたのはカナ入力。
しっかりキーを見なければ一文字も打てなかった。
そうこうするうち、ワードプロセッサーが導入された。
通称「マシン室」に行くと、ワープロ様がデンと鎮座ましましていた。
そこで指導係の同僚が取り出したのは、一本のペン状のもの。
漢字が並んでいるノートのようなものをめくり、目的の文字をそれでつつくと入力される
仕組みだった。
失望し過ぎて、ひらがなや数字をどのように入力したか全く覚えていない。
ある日、我が家にパーソナルコンピューターなるものがやって来た。
パーソナルというだけあって、やがて一人一台の時代が来るのだが、
その時はまだそうではない。
主な用途は日本語の書類作成。英文タイプとは少々勝手が違ったが、ついにブラインドタッチ
が使えるとあって満足だった。
子どものとき、何に使うのか不思議でたまらなかった、ローマ字の勉強が無駄ではなかった
と思えたのもこの時だ。
ここからしばらく、家で職場で私のPCライフが続く。
そして、その間に携帯電話とネットの登場と相成る。
通信手段が、電話、ファクスからメールに移って、トグル入力というのが現れた。
私はというと、小さい画面にボタンをプチプチ押しながら入力するより、
キーボードを使った方が速いうえ、ケータイでやり取りしなければいけない環境でも
なかったから、パソコンメールを多用した。
それでも少しずつトグル入力に慣れて、ようやくスピードが上がってきた頃、
スマートフォンが出てきた。
それにはなんと、打ったり、押したり、つついたりするところがなかった。
決して新しい物好きではないが、私がスマートフォンに乗り換えたのは割と早かった。
ケータイとあまり仲良くなれなかったから、これからは便利生活を楽しもうと考えた。
考えたのだが、入力の機会は限られた。
そして、薄くて軽い2台目のスマホが気に入り、長い間使い続けるうちに
便利生活はどんどん遠のいた。
いち早く進化の流れに乗ったはずが、すっかり時代遅れに。
高い通信料を払っているのに、これでは無駄遣いが過ぎると思い、仕方なく一年半ほど前
新しいスマホに買い換えた。
それをきっかけに、今度はSNSなんかにパパパッと投稿する若者にあこがれて、
フリック入力に挑戦することにした。
しかし、相変わらず入力する機会が少ない。それは同時に上達する機会もないということ。
今後も頻繁に入力する見込みはないという結論に至り、パパパをあきらめて
大好き(?)なアルファベットキーボードからの入力に戻した。
ただしスマホでブラインドタッチができるわけもなく、宝の持ち腐れとなった。
もっとも年を取ったせいか、入力ミスをすることが増えたので、もはや宝といえるかどうか
疑問だが。
こうして振り返ってみると、ずいぶん前から、字が書けなくても読めればいい時代の中にいる
ことに気づく。日頃書く練習をさせている身としては複雑な気持ち。
技術の進歩はとどまるところを知らず、今は音声入力なんていうのもあるし、
AIが論文や小説を書いたり、作曲したり、アート作品を創ったりする時代。
手を動かすどころか、頭を使うこともしないで何でもできる。
恵まれた世界がやって来たものだと感心しきりだが、もうパパパにあこがれることは
できないのかと思うと、寂しさを感じるのは私だけかしらん。
以上、文字入力をめぐる個人的なお話でした。
(ecu)