驚いたら人間は驚く。でも、おどろ、ってなんだろうか。後鳥羽上皇? 山のなかを変態がひとりで歩いて行くのをみたような感じなのだろうか。いや、違うだろう。そんなことを思いながら私は驚いていた。新緑が目の裏で腐っていた。
これは私が愛好する町田康氏のホサナの一節。日常生活でまさにホサナ!な気分の時に、もっとも私はキリスト教徒ではないのだけれど、日本人の多くがクリスマスを祝うような最早文化的なノリでהושע נאだったのでそれを読んでいた。
そしてふと思いました。この、語彙論も意味論もクソ食らえなパンクな彼の作品に私は惹かれるが、同時に正しい日本語を教える日本語教室の一員として、彼の作品を一緒に享受できる外国人とであうことはあるだろうかな…と。例えば彼の芥川賞作「きれぎれ」は「Rip It Up」と訳されていて、きっと素晴らしい翻訳本に違いないけれど、それは詩を意訳するようなもので、韻まで訳すのが難しいように、日本語でのきれぎれの感じは途切れてしまいます。ましてや分厚い本丸ごと一冊、意味と韻律やリズムを同時に伝えるのは至難の技だと思います。少なくとも、一年生で習う簡単な「中」や「見」の漢字を使わない感覚や、「上皇」とされている意味や平家物語について、日本語を通してそういうことを解せるようになる頃には、もう子ども達はとっくに教室にいないし、日本語環境にすらいないかもしれないけれど、そんな彼らの未来をほんの少し夢見ながら、いざ「あいうえお」からスタートです。ホサナな気持ちは心の点滴で解消して。
(KogomiK)