4年前、シベリア鉄道経由で欧州鉄道旅行を計画しチケットをインターネットで取ったのですが、 コロナ菌の世界的蔓延で延期、その翌年はロシアのウクライナ侵攻によるウクライナ戦争で又もや延期せざる得ませんでした。
そして、昨年は私自身が2月に大腸がん手術を受け、約1年間の養生を続けた結果、今年3月の3カ月定期健診で他部への転移がなく、血液検査と尿検査結果共に良好と医師から太鼓判を押され、付き添いの女房と二男の嫁もにっこり笑い、晴れて3ケ月に亘る欧州鉄道旅行の一人旅に出かけました。
成田空港から四川航空便で中国成都経由でトルコ・イスタンブールに入りました。トルコはイスラムの国で、どこか昔、駐在していたインドネシアの雰囲気や町並みが似ており、親近感が持てました。
イスタンブール新空港から高速バスで鉄道中央駅近くのハルカリ市内で下車し、タクシーでホテルに直行しチェックインを済ましてから、イスタンブールの出発駅のハルカリ中央駅で二番目の訪問国ブルガリアのソフィアまでの指定券を購入しようと考えていましたが、駅チケット窓口の女性スタッフは英語が全く出来ず、事前に用意したメモで何とか購入できました。
私はユーロ鉄道グローバルパス(シニアファーストクラス)をインターネットで購入し、スマホにインプットしてこれを見せながら、指定席のみ購入すればよいシステムになっております。
ところが、始めから鉄道旅は挫折しました。ソフィアからベオグラードまでと、ベオグラードからブダペストまでの2車線の鉄道が今は走ってない(ガイドブックはあることになっているが…)ので、2線とも急遽、国際急行バスに変更しました。
東欧のソフィア、ベオグラードともに静かで綺麗な街並でした。シックな建物が多く、その中に金色に輝く尖塔やドーム造りの教会があり、持参した数珠を取り出し旅の安全を祈りました。
ブタペストからウィーン、プラハ、そして滞在したドレスデン市ではその昔、祖父がシベリア鉄道経由で世界旅行中に滞在した事を父から聞き、祖父がドレスデンで購入した土産の蛇腹式カメラで父から子供の頃よく写真を撮ってもらったことを思い出し、そして、ここに訪れた事で念願の一つが叶いました。
ドレスデンの街は宿泊ホテル周辺は新しいモール街ですが、市内トラムが走る二本の道路を挟んで旧市街になっています。旧市街は町全体がバロック建築で、ちょっと黒ずんだ建物群は歴史を感じさせます。この街の祖父が降り立った所に私がいると思うと胸が熱くなりました。
その後、ベルリンで『ベルリンの壁アート』を見て平和のありがたさ、そして、第二の目的地のポーランド・アウシュビッツでナチスの残虐さ(戦争は人を狂わせる)を目のあたりにし、心が痛みましたが、同じグループで見学したポーランド人学生の祖父の車で最寄り駅まで送ってもらい、人と人との温かさを感じるひと時を過ごす事が出来ました。
当初の旅行計画では東欧経由でスカンジナビア各国に行く予定でしたが、東欧の鉄道事情が不安定なため、今回の旅行では断念していたのですが、ソフィアからベイルート迄の急行バスで隣の席のアメリカからの旅行者から是非スカンジナビアは行くべきとアドバイスを受け、バルト3国経由でフィンランドのヘルシンキに渡り、スカンジナビア半島に行く計画に途中変更、私の旅は、フレキシブルに、マイペースで、ゆっくりと楽しみ、自由度を持つ様にしております。
バルト3国、リトアニア、ラトビア、エストニアは旧ソ連から独立した国々で今は、NATO加盟国、エストニアのロシア大使館前に花束の列とウクライナ支援と『子供たちを殺すな』のメッセージがあり、ナワリヌイ氏を悼む写真、メッセージと花束も掲げられておりました。これが世界の現実かと複雑な気持ちになりました。
エストニア・タリンからスカンジナビア半島のフィンランド・ヘルシンキ迄とヘルシンキからスウェーデン・ストックホルム迄はフェリーボートの旅でした。特にヘルシンキ・ストックホルム間は一昼夜半の長旅の途中でフィヨルドにより浸食された島々や海岸を見ることが出来ました。
又、タリンからストックホルムまでは4月にも拘わらず雪に降られ、女房がしつこく冬下着を持っていく様言われ、止む無く持って来て良かったと、後になって女房に感謝した次第でした。
ノルウェイ・オスロのフィヨルドクルーズで帆船に乗り、波静かな外海からクルージングを楽しみました。私はいずれの国でも歩くことを基本にしており、ホテルスタッフがシティトラムやバスを進めても、出来る限り歩いて目的地まで行く様に心がけております。そのせいか街並みが頭に入り、その国を理解し易く、印象も深くなるメリットもありました。
デンマーク・コペンハーゲンでは良く歩きました。ホテルからどう歩けばよいか分からず、歩行者に聞くと、自分も同じ方向へ行くので一緒に行こうと、歩き始めました。彼はノルウェイ人でイヌイットとのハーフで、狩猟は小さい頃からやっており、大きなカリブーも仕留めたことがあると話してくれました。
彼とは繁華街の途中で別れて1時間半、海の突堤近くの人魚像まで、観光客でにぎわう商店街をひたすら歩き続け、途中、大きま公園や工事中の道路を横切って、何度も人々に行き先を聞きながら、ようやく、辿り着いたのが人魚像でした。
人魚像は日本でもあれこれ言われていましたが、岸壁沿いの岩に鎮座しているのが、とても可愛く感じました。残念だったのは、対岸が運河の様になっており、大きな工場の煙突から白い煙が立っていたのが、ちょっと残念でした。
コペンハーゲン、アムステルダム、ブラッセル、ロンドン、パリとどこにも素晴らしい博物館や美術館があり、鑑賞好きの私には答えられない程満足指数が上がました。
デンマーク、アムステルダムではホテルの隣と言っていいほどの距離に国立美術館があり世界的に有名な画家達の作品が所狭しと並んでいる姿は只々贅沢だなあとしか言えませんでした。
ブラッセルではインターネット予約した人以外は入館出来ないアールヌーボー建築で有名なオルタ美術館の受付女性に頼み込み、マネージャーが直接日本から一人で来た私だけ入館を許してくれた一幕までありました。(以下次回へ続く)
(kk)