私たちの日本語教室には、様々な背景を持った子どもたちが学びに来ます。
日本語をまったく知らない、聞いたこともない、そんな「日本語ゼロ」の子どもたちも少なくありません。
家庭の事情や親の仕事の都合で日本に住むことになった子どもたちにとって、日本語を学ぶことは必ずしも「自分の意思」で始めたわけではないことが多いのです。
本当は母国に帰りたかったり、日本の学校に行きたくなかったり、日本語なんて学びたくなかったり…
そうした気持ちは、表情や言葉に出ないこともあります。
私たちは、そんな子どもたちに寄り添い、一人ひとりの心に響く授業を目指しています。
<自分本位な授業では子どもたちは成長しない>
教師側が自分本位な授業をしてしまうことは絶対にあってはなりません。
例えば、「この子は日本語がわからないから…」と、つい不必要な発言を口にしてしまうこと。
言葉は強力なパワーを持っています。
相手が言葉の意味を理解していなくても、その雰囲気やニュアンスは伝わってしまいます。
子どもたちの学びを妨げないよう、教師自身が慎重に言葉を選び、心を込めて伝える姿勢が求められます。
<翻訳に頼らない「体験型」学習の大切さ>
私たちの教室に限らず、初期の段階では特に、翻訳ソフトや直訳に頼ってしまう教師を目にします。
しかし、安易に翻訳を使ってしまうと、生徒は言葉の「本当の意味」を学ぶ機会を失ってしまいます。
語学は「覚える」ものではなく、「体得する」ものです。
フレーズをただ覚えるだけでは、会話に生きる言語習得にはなりません。
そこで、私たちはイラストや写真、絵、寸劇など、言葉以外の「見える・感じる」媒体を使った授業を大切にしています。
例えば、リンゴの絵を見せて「りんご」と教えるだけでなく、実物のリンゴを見て、触って、匂いを感じて、実際に「これはりんごです」と言葉を使う。
こうした場面学習を通して、子どもたちは「りんご」という言葉が何を指しているのか、具体的な体験を通して理解していくのです。
<先輩教師から学んだ大切な教え>
先日、私たちのミーティングで大先輩の先生が仰った大切な言葉があります。
1、学習者が習っていない言葉は使わない。
2、「わかりますか?」と聞いてはいけない。
学習者がまだ学んでいない言葉を使ってしまうと、彼らは戸惑い、不安になってしまいます。
「わかりますか?」という問いかけも、理解できていない学習者にとっては、答えることが難しい質問です。
「うなずくしかない…」というプレッシャーを与えてしまい、本当に理解できているかどうかを確認する手段にはなりません。
私たち教師は、子どもたち一人ひとりの立場や気持ちを想像し、心に寄り添った授業を心がけなければなりません。
「わからない」「知りたい」という気持ちを尊重し、言葉や表現を工夫しながら、子どもたちが自然と日本語を使いたくなるような環境を作ることが、真の学びに繋がります。
これからも「楽しい」「わかる」「使える」日本語を伝えられる教師を目指して、日々の授業に向き合っていきたいと思います。
(E.F)