私事なのですが、小さいころから身体が虚弱だったこともあり、小学校三年生から2年ほど千葉県の内房総にあった養護学園に親元を離れて寄宿生活を送っていました。
朝起きると体温を測定し、乾布摩擦をし、海岸を散歩するという規則正しい健康的な生活を過ごしていました。まだ小学校の低学年だった子供を手放す親も辛かったようで母などは私が残してきた衣類をタンスから出して眺めては毎日泣いていたそうです。
そんな単調でも楽しい生活でしたが、ある日奇跡的な出来事が起こりました。
養護学園の先生が「海流びん」というビール瓶の中に手紙をいれたものを何本か海岸から海に流したのです。その中の一本がはるばると沖縄の八重山群島の竹冨島という小さな島に流れ着きそこの小学校の生徒たちと文通が始まったのです。
テレビの子供番組でも取り上げられマスコミも取材に来たりと、のどかな田舎の町もいっとき騒然となりました。
「海流びんの歌」なども先生方が作詞作曲し皆で歌ったものです。
今は養護学園は館山のほうに移転したようですが、青い海、灯台、拾った沢山の貝殻、海流びんの思い出、寝食を共にした友人たちの顔、もうはるか記憶のかなたに消えてしまいそうですが、南房総の景色がテレビなどで映るたびに懐かしさで胸がいっぱいになります。
(s、s)
2019
22Mar