来年2021年は東京オリンピックが開催される・・ことになっている。
もちろんコロナ・ウィルスの猛威に人類が負けなければ、の前提条件である。
現状ではIOCも東京開催に否定的にはなっていない。施設もできているし、おそらくは大丈夫であろうとの見解も出されている。日本にとっては”3度目“のはずのオリンピックである。
その1度目は、というと、1938年(昭和13年)に第12回オリンピックの誘致に成功をして、さあ!いざ、いざ、いざ、と1940年(昭和15年)に日本の国力を世界に示すはずであったが、戦争ということで中止になってしまった。
結果としては、誠に残念であったと云える。
当時、柔道の「講道館」を創立した“加納治五郎”はエジプト・カイロで開かれたオリンピック委員会に出席して、戦時色がだんだんと濃くなっていくなかで、各国の世論は厳しく誘致は困難を極めたが嘉納の奮闘により成功し、その帰路にイタリア、フランス、アメリカを回り柔道の普及活動に尽力したと云われている。そうした状況のなかでの疲労が蓄積したのか、4月22日に帰国のためにシアトルから日本郵船「氷川丸」に乗船をしたものの、出航直後に船内で倒れてしまった。一時は小康状態を得てデッキを散歩することもあったというがほとんど船室にこもり、食事もボーイが部屋に運び、Dr上野船医のつききりの看病のかいもなく、横浜港到着の2日前に「オリンピックはどうなった」との言葉を残してこの世を去ってしまった。1964年大会では、「有色人種国家が史上初のオリンピック」という意義を持って開催できたが、今回の大会の“意義”はなんだろう、という疑問符しか見えてこない。嘉納の言葉「今度の“オリンピックはどうなった”。またも‥中止」にならないことを・・。
記・ Wataru君