「先生、さようなら!」
「さようなら。また来年ね」
年末最後の授業。担当した子とこんな挨拶をした時に、ふと昨年のことを思い出しました。
一度目の緊急事態宣言が出た頃、教室がある山王会館が閉鎖になる直前の授業で、私は彼女になんと言ってさようならをしたかなと。
多分、「またね。元気でね」と言ったと思います。しかし、それは先行きの見えない不安の中で、再会がいつになるのかわからない「またね」でした。
あれから1年程経ちました。withコロナの世界は未だ続いています。
再び緊急事態宣言が出ることとなりましたが、今回は教室も閉鎖という形にはならずに、山王会館が利用可能な17時までの間で授業を継続しています。
名前の由来にもなっていますが、ぐるりっとは「子どもの日本語環境をぐるっと視野に入れて」生徒の個別状況に応じた支援を行っています。
ぐるりっとは、地域の日本語教室であり、活動の大きな軸となるのは日本語の指導です。しかし、一般的な日本語学校とは違う。学校とも違うし、塾とも違う。…どこからどこまで、何ができるか、やるべきか、曖昧になる部分もあり、それこそ、一対一で向き合う生徒ごとに異なるものだと思っています。
今は、日本語がゼロの状態からぐるりっとだけで学習するという生徒は少なくなりました。母国で学習してきた子。別の場所でプレ学習をしてから新たに来室する子もいます。学校では日本語の先生による取り出し授業。その後は、中学校の日本語学級に通級しての日本語授業がありますし、最近ではオンラインの学習をしているという生徒の話もよく聞きます。
限られた時間、あちらこちら飛び飛びの日本語をどうやって繋げて定着させていくかというのは長年の問題です。
また、時に日本語の学習よりも、生徒自身の心や生活環境に近づくようなこともあります。
他者や個人ではどうすることができない複雑な問題であることもありますが、それらは全て、子どもの日本語を取り巻く環境に繋がっている部分。共に考え、側で見守ることで見えてくることがある……そう思って、生徒ごとに、先生ごとに、時に頭を悩ませながら向き合う日々です。
担当している子が、こんなことを言っていました。
「コロナでもコロナじゃなくてもコミュニケーションは変わらない」
「マスクをしていたって、笑っている時は目を見たらわかります」
実はこれ、作文のテーマについて話していた時の、「ああいえばこういう」のやりとりで、どこまで本心だったかということは分かりません。
ぐるりっとは小さな教室です。コロナ禍でも、密にはならないくらいの人数で、可能な限りの予防対策をしながら、対面式の授業を続けています。それだって絶対安全と言い切ることはできない。今後もそれができるのか、そのままで良いのか…まだ分かりません。
しかし、コミュニケーションや人との関わり方の根本は、変わることはない筈です。
今、関わりがある子どもたちが前に向かっていくために、日本語が必要なことも。その為にどうしたら良いか、私たちが生徒一人ひとりに対して試行錯誤していくことも。
今できることをやる。
何ができるかを考えて、それを実行していく。
この軸だけはぶれない様に。どんな場面でも、できることをしていこうと思う次第です。
(N)