私はK君を担当して早や4年半経過した。授業を開始したときは小学校6年生だったが日本語を余りうまくしゃべれず、50音もほとんど書けない状態で来校してきた。
父親が日本企業の技術者としてフィリピン駐在中にフィリピン人の妻と結婚しK君が誕生した。K君はフィリピンの学校に通っていたが父親の本帰国で慣れない日本で生活することになった。
父親はK君に少しでも日本の学校に慣れさせようと駐在中に日本の小学校に入学させたが日本語が解らず、又友達のいじめ等で日本の学校になじめず、フィリピンに戻ることが数回あった。
結果としてK君は日本語をほとんど理解できぬまま日本の小学校を卒業して中学校に入学した。
中学校では日本語をほとんど理解できないK君は一般生徒と隔離された個室でカウンセラーとの補習授業で友人は出来ず、学校も休みがちの3年間を過ごしていた。フィリピンと全く異なる日本での生活で体調を崩し、ほとんど外出しない閉鎖的な生活を送っていた。
私はK君との授業でこうした背景からK君が少しでもリラックスして日本語授業が出来る様にと彼から日常生活Q&Aで話合いの時間を多く割く様心がけ、コミュニケーションを深める様にして心の扉を開く努力を行った。それでもK君は体調を崩して授業は休みがちだったが、童話集一冊を読み切ることが出来、本人も幾らか自信につながった。
高校進学で父親を入れて面談したが全日制は無理なので定時制高校を進学先と決めて対応させた。
高校入学後、K君から高校を辞めたいと相談があった。理由はクラスメイトや先生となじめない。今迄、小学校、中学校でまともな教育を受けられず、友人もいなかったにも拘わらず、高校入学で、初めてのクラス、クラスメート、異なった先生方からの授業に全くついていけず本人はただ混乱し、登校出来ない状態となっていた。
高校側も心配し親子面談したいと父親に連絡があり、私にも面談同席要望があり教師と面談した。学年主任教師からK君に頑張って登校するようにと説得していたがK君は行きたくないと返答。私からK君の今迄の背景と頑張らずに授業を受けるよう指導していることを説明した。教師から登校する様にして少しずつ学校に慣れる様にしなさいとソフト口調でK君に話してくれた。
その後、K君から高校の様子を聞き出すと嬉しい変化を話してくれた。K君の得意な英語を中心に上級授業を組んで彼のモチベーションを上げる工夫をしてくれている。これには高校側の配慮に只々感謝のみである。又、小・中学校で出来なかった友人も数人出来た、最近では友人の勧めでバレーボール部に入部して高校に馴染む努力をしている。
これからもK君を温かく見守っていきたい。
(㏍)