昭和14年ごろ、月刊「英語研究」(研究社発行)という本の中にイギリスの風刺漫画誌「パンチ」掲載の一コマが紹介されていた。それはシェイクスピア研究の大学教授が黒板に「シェイクスピアについて」と書いて講義をしている目の前に、シェイクスピア本人が懸命にノートをとっている漫画であるという。この英国の「パンチ」の創刊は日本では江戸時代の天保12年(1841)に相当する。日本では漫画を「ポンチ画」と呼ぶのはこの「パンチ」誌にちなむものであると云う。この画のなかでシェイクスピアは「私は貴公が講義しているようなことを、本当に思って作品を書いていたのかなア」と感心してノートを取っていたのいたのかもしれないし、「なんで馬鹿なことを・・」と思ってノートを取っていたのかは判らないが、なんとも皮肉な漫画である、と新井益太郎著書「江戸語に学ぶ」には書かれている。
約100年前に、現代とは異なり病原体の本体もわかない状況下であっても、「西班牙(スペイン)風邪」に立ちむかった栃木県矢板市の医師の話として、当時流行していた”ジフテリア”ワクチンの投与を行ったという話がNHKテレビ番組“英雄たちの選択”の番組の中で紹介をされていた。現在、猛威をふるっている「コロナウイルス」についての対策も、こののち幾年かしたら、いま医療崩壊危機と戦う諸氏の実態も明らかになると思う。明治期に流行したときに、国民の中に浸透したものは”マスク”の着用であり、”三蜜”回避であったということは、100年を経た現在もその効果を認めているのである。まさに”歴史は繰り返す”の例えそのものである。歴史は過去の通過点ではなく、未来の展望であることを”コロナ渦”を通して再認識をした次第である。
日本語を学ぶとき、”「将来 私自身が日本語を教える」ことになったら、どのように取り組むか”を考えながら学んでみると勉強の仕方もかわることと思う。”教えることは最大の学び”という言葉もある。教える側の立場では、前述のシェイクスピアの姿を連想してみることも”伝える・伝わる・理解する”の観点からも大切だといえる。歌舞伎のセリフを、歌舞伎役者に講義する日がくれば、また楽しい人生となるであろう。地域のガイドをすることも日本語の訓練にもなるし、歴史を再発見することにもなるのである、と自分に言い聞かせてガイドができる日々が待ちどおしい昨今である。
記:Wataru君