誰とでも気楽に顔を付き合わせることが難しくなり1年が過ぎました。
思いたった時に行動できる環境を奪われた現代人にとって、ストレス満載の毎日。
しかし、その歴史を紐解いても分かる様に元来人間とは工夫の動物。
制限の中だからこそ生み出されたといえるものも現れてきています。
私もその恩恵にあずかり、今年は色んな方の講演やワークショップに参加しています。
もちろん自宅からです。
スケジュール調整をし、移動時間を計算して参加する今までと違い
空間を越え、隙間少なく双方向での意見交換ができることとなり、併せてそれを利用して人々とコンタクトを取ることに慣れてきている自分はもはやコロナ以前の日常には戻れない快適さすら感じています。
満足度の高いコンテンツにより、不自由なはずの日常が無駄を感じないものとして私の新しい日常となりました。
教育の現場で熱い話題は『個別最適化』です。
おおよそ絵として思い描く学校での学びの場とは、教壇上の教師が板書や説明を行い、生徒たちは一斉にペンを走らせる姿ではないでしょうか。
一人一人がどの程度満足をしているか、理解をしているのか、それを知る術は試験の数値に頼るしかありません。つまづきのプロセスを知ることは集団学習では困難です。
しかし、GIGAスクール構想通りに全ての生徒がICTによって己の習熟度に沿った学びを展開できれば近い将来、学びの場の絵は様変わりしていくでしょう。
生徒がそれぞれの目的で個々に何かを同じ空間で学んでいく教室といった様に。
教師の役割も当然変わっていきます。
前回と同じことが通用することはそこにはありません。
教える側にも相当の準備と対応すべくアップデートが必要になっていきますから、担任制やクラスの在り方も変化していくこととも思われます。
幸いなことに、私たちぐるりっとは、基本マンツーマンで生徒と直に向きあっています。
もちろん感染対策を徹したアナログでですが、それでもまさに個別最適化された場です。
最先端ですね。
とはいえ、通ってくる生徒たちが密接に関わる学校の学びの環境が変容するのであれば、私たちにも変容の時といえるのではないか。
それはどうであるべきなのか。
今できることは何なのか。
同じ志を持つ仲間と意見交換しながら自分の進む道を模索しています。
生徒の年齢や育ってきた環境、母国で受けた教育内容によっても言語を習得する方法は一辺倒ではありません。
教科学習のみならず、教師も生徒も学びで大切なのは『個別最適化』であることには違いないです。
(E.F)