美しい文字が好きだ。字はきれいなほうが良いに決まっている、と思っていた。
子供の頃は学校で「字はきれいに書きなさい」と教えられた。手本をよく見て練習した。「字は人を表す」などと言われ、真剣に書いた。
最近「文字に美はあるか」「そもそも文字に美しいとか美しくないということはあるのか」という一文を読み、目が覚める思いがした。
そうか。そうかもしれない。
絵でも風景でも、同じ物を見ても美しいと感じるかは人それぞれ。字だってそうなのかも。私が美しいと思う字は、私がその形が好き、ということかもしれない。
私は字が好きなのかもしれない。ひらがなの中でどの字が一番好きか聞かれたらどの字を答えようかな、なんて考えたりしている。だんだん上手く書けるようになって好きになった字もある。
文字は、突き詰めれば記号であり、その形や並び方に意味を持たせて言葉にし、何かを伝えたり読み取ったりしているのだから、それだけの機能を果たせばよい、とばかりに「美しさ」に全く無関心な人もいる。学校の先生は「賢い人は字がきれいだ」とおっしゃったけれど、それが真実でないことを後に知った。大学の同級生の中に優秀な学生がいたが、悪筆だった。病院でお世話になった先生はすばらしい医師であったが、失礼ながら字は驚くほど下手だった。
「美しい文字が良いに決まっている」といった漠然とした思い込みが少し壊されるような体験は新鮮で面白い。大袈裟に言えばちょっとしたカルチャーショックか。そういう姿勢(見方)もアリかー、と。
文字の書き順についても最近新たな発見があった。
私が子供の頃はひらがなもカタカナも漢字も、すべて正しい書き順で書くよう、かなりうるさく言われた。漢字の書き順を呪文のように唱えながら書く書き方を友達から教えてもらったりして、それはそれで楽しかった。
今の子供達は学ぶことが多くなり、またデジタル機器での読み書き(入力)が増えることが予想される為か、書き順を厳しく指導されることは減ってきているようだ。
日本の文字は行書、草書で書く時、書き順を誤ると形が変わって読めない字になってしまう為、書き順が重視されたのではないかと思う。
私が小学校でローマ字を習った時は、アルファベットのブロック体と筆記体、それぞれ書き順も習った。今は筆記体自体を学校で教わらないようで、ブロック体の書き順もうるさく言われないらしい。実際英語圏には色々な書き方をする人がいて、筆記体を読み書きできない人も多くいるらしい。正しい形に書けばよい、読める字ならよい、という風潮は強まるだろう。
世の中も変わっていくなあ、と思っていたところ、最近たまたま見たネパール語の文字についてのインターネットサイトに「特に決まった書き順は無い」「お好きなように書いてOK」とあり、仰天した。
そうだったのか!世の中には初めから書き順が決められていない文字もあったのだ。(注:文字や言葉の歴史がきっとあるので、浅薄な知識で軽々に断ずることはできませんが)
きっとその土地や風土や長い歴史の中で、文字への向き合い方もさまざまなのだ。面白い。
日本語教室ではひらがなの書き順を教えているが、ある生徒は一文を書いた後で濁点「゛」や「な」「お」の点を最後に付けて回った。驚いたが、そういえばローマ字や英文を筆記体で書く時、単語や文を書いた後でiやjの点、tの横棒を書くので、その感覚なのかも。しかし、漢字の練習で例えば「犬」を十回書く時、「大」を十個書いてから点を付け足す…はやはり駄目でしょう。
ちなみに私の一番好きなひらがなは…決められないが、今日は「ね」かな。明日は違う字を答えるかも。
(SI)