引き続き自粛生活をしており、大森へ出向いていけず、お役に立てないことを歯痒く思っています。ぐるりっとの皆様は、山王会館が休館になった間も別の場所を使って授業をするなど、その柔軟な対応、努力を惜しまない姿勢に心から敬意を表したいと思います。最新情報によると、山王会館の排水管の調子が悪く、水の利用に不便がある状態の中、工夫されて授業を続けておられるとのこと、頭が下がる思いです。
私事になりますが、昨年給湯器が故障したことがきっかけで、浴室と洗面所の大掛かりなリフォームを行い、(勢いで?)傷んでいた屋根の修理、外壁の塗装、2階ベランダの付け替えと、「令和の大修理」と勝手に名付けた工事が続いてきました。ほぼ目途がたったところで、落ち着く間もなく、次は、2年前に亡くなった夫の母親のマンションの整理、リフォーム・・・とまだまだ続いていきます。
業者の話によると、コロナ禍でリフォームを考える人が増えているとのこと、それと同時に、アメリカでは住宅建設のための木材需要が高まり、その影響で、カナダや北欧からの木材調達が厳しくなっている(「ウッドショック」)ともききました。これも、コロナのもたらしている影響の一つ(極めて即物的なものではありますが)と考えると、コロナによって世界がどう変わっていくのか、変わらないもの、変えてはいけないものは何なのか?改めて しっかり見据えていかなければならないと思います。コロナとは別の気になる状況も現実として立ちはだかっていて、私たちの「明日」を望ましいものにするためには、どう行動すべきなのか、課題が多すぎて途方にくれてしまいそうです。
そんな時、ラジオで「コロナ禍を生きる」というテーマで、昨年3月にドイツのメルケル首相が行ったスピーチや先人たちが残した今も色あせない言葉を紹介していました。その中で、1943年に34才で亡くなったシモーヌ・ヴェイユの、今日書かれたといっても違和感のない文章が印象的でした。「・・・権威主義的で国粋主義的運動が勝利して、至る所で律儀な人々が民主主義、平和主義に託した希望が崩れ去っている。・・・そんな時だからこそ一度立ち止まって、心のあり方を変え、世界を作り変えていくことができるかもしれない・・・。」
今は、コロナ禍によって、色々なものを見直す作業を余儀なくされているように思えます。立ち止まって、本当に必要なもの、かけがえのないものは何か考え、見極めて、どう行動するか、見つけたいと思っています。
若い頃、ノートの端に書きつけた 「より遠くへ跳ぶためには、後退しなければならない。」という言葉を思い出しました。もうひとつ、「青春の夢に忠実であれ」というシラーの言葉に、ちょっと心がざわついています。
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