先般のブログの中で「ね」という文字について取り上げられていた。日本語の五十音「あ~ん」までを発声してみると、言いやすい文字と言いにくい文字があることがわかる。 活舌の練習には 北原白秋の「あいうえおの歌」が頭に浮かぶ。この「あいうえおの歌」についても、先のブログで取り上げられているので、そのブログを読んで思いつくのが、授業中の子どもだけとは言わないが先生方にも発音が難しいところが多々あると思う。発声練習には「あいうえおの歌」が欠かせないというが、頭の体操にも十分に役に立つと言えよう。内容は明治期の時代をしのばせる用語がたくさん出てくるが、今は「死語」となりかけているものもかなりある。
先のブログでも辞書のはなしが掲載されているが、「死語辞典」というものもあるくらいだ。すでに駅で「切符」を買ったことがないという世代も登場している昨今である。大森には「八景坂」という名称(名勝)の地もあるが、八景に読み込まれている風情を感じさせる地・場所は、もうほとんどないと言っても過言ではない。世の中の技術の進歩により「楽」な時代となっている。床掃除も自動でやってくれる機器もあれば、洗濯機においては衣服乾燥までやってくれる時代である。まさに「楽(らく)」なことが多くなっているが、人間として本当に「たのしい」ことなのかと考えてしまう。
「らく」であって「たのしい」といえるのだろうか。
「楽」も「楽しい」も漢字では同じ文字を書くのである。「楽しいことは、楽ではない」といえるし、「楽なことは楽しくない」ともいう。 “修行は楽ではないが、楽しいことが待っている”といわれた時代もあった。苦楽を共にする、の例えもあるが、同じ文字でも“よみかた”でその意味も大きくかわる。
大田区の鳥はウグイス(鶯)であるが、その由来は “安全で快活な、活力と思いやりのある、文化・福祉都市を目指す・・”(平成2年に制定)とあるが、百人一首には、不思議と“うぐいす(鶯)”を詠んだ歌がない。鶏、かささぎ、山鳥、ほととぎす、千鳥などはあるが“鶯”はいない。鶯は当時の和歌にはよく取り上げられているのだが、百人一首にないとは不思議なことだ。大田区では、百人一首に出てこないが、鶯の声を聞くことができる風光明媚な土地柄なのである。コロナ渦のなかで 百人一首の絵札から”鶯“の文字をさがす作業は「楽しいが 楽ではない」ことを体験し、解説本から一気に探すことは「楽であるが、楽しくはない」ことを学んだ。「楽」という文字の解字は、「木の上に”繭(まゆ)のかかった様子を描いたもの・・云々」と書かれているので「繭」も楽な姿勢ではないだろうが、楽しい音と表現されていったらしいが、古くは「ゴウ」と発音さて、“好む”の意味もあったという。解字の解説を読むのも“楽しいけれど、楽じゃない!”
(wataru君)