中学生になってしばらくたった頃でしたでしょうか、国語の授業の初めに、教師は教科書の一段落を読むよう一人の生徒を当てました。彼女は緊張した面持ちでゆっくりと読み始めましたが つかえつかえでなかなか読み進めることができません。私がまずいなぁと思いつつ覗った教師の眉間には、じわじわとしわが寄りはじめていました。明らかにイライラが見て取れ そして終いに「どうして読めないのですか!」と冷ややかな怒りの声を発しました。教室はしんとし、少女はぐうっと教科書を見つめたままでした。しかしその時ひとりのクラスメイトが声を上げました。「違うんです。Mさんはこんな風になってしまうんです。」と。
教師は暫く状況が理解できない様子でしたが、次の瞬間フッと力が抜け口元を和らげて、「はい わかりました。ゆっくりお読みなさい。」と言ってくださいました。
あの時 ひとりのクラスメイトの勇気に触発され、多分クラスの全員が教壇の教師を睨んだと思います。私たちは日頃 そのおとなしい少女がどもることは知っていたけれど、彼女が言葉に詰まってもすっ飛ばしてしゃべっていたというか、なんら気に留めずにおしゃべりを続けていましたから、教師には「叱らないで」と抗議の思いでした。
Mさんの吃音を察したその教師は、その後も何度か彼女に音読させたことがあったと思います。短い段落を「ゆっくりでいいですから」と。私たちは卒業するまでなんにも言わなかったし、そしてたぶん知らず知らずのうちにMさんの吃音は(完全でなくても)治ったのではないかと思います。
勇気ある発言をしたクラスメイトは何かにつけ発案の名人で、ある時はクラス全員を動員していたずらをして、おかげで全員が(上記の教師に)長~いお説教をくらいました。凸凹ながらも、時折電磁石にスイッチが入ったようにまとまる可笑しなクラスでした。
※これは学生時代の思い出の一つではありますが、ここまで書いた後、たまたまTV番組[バリバラ]を見てラッパー達磨さんのことを知りました。吃音症なのに「ラップ」が淀みなく歌え、思いを表現できることに驚きました。でもインタビューや普段の言葉はやはりどもってしまう。 Mさんも、クラスでは気にならなくても緊張すれば出てしまう吃音症の不安をずっと抱えていたのではないかと今頃になって気付いた次第です。
ブログを締めくくる言葉が出てきませんが、「みんなちがって みんないい」という言葉が私の頭の中でリフレインしています。
(ET)