授業が終わって、後片付けを始めようとしたとき、「ちょっとすみません」と声をかけられた。
なんでも、書類の書き方がわからないので教えて欲しいとのこと。
よく聞いてみると、出産間近のその人が、その日に備えて中国からお母さんを一時的に
呼び寄せるための書類。
あれ?ちょっと待てよ。確かその人の配偶者は日本人のはず。
ご主人に頼めばいいのでは、と言うと、肝心な夫君から
わからないから日本語の先生にきいてくれ、と言われたそう。
えーっ、日本語の先生って、そういうものじゃないんだけど。
国際結婚した人がわからないのに、どうして私がわかるのよ、と内心思ったけれど、
放っておくわけにもいかず、相手が持っている情報と合わせて、なんとか完成させた。
書類の性質上、外国人が触れることが多いと容易に予想されるにもかかわらず、
中国語はおろか英訳さえついていないうえ、日本人が見ても理解できない難しさ。
これってどうなの、と当時思ったものだ。
大きい災害に見舞われるたびに、外国人のために「やさしい日本語」で発信することが必要だ
という声があがった。
そして今また、外国人に正しい情報を届けなければならない事態に至り、二年が過ぎた。
いったいどれくらい適切な対応がされているのだろう。
軽く周りを見回すと、文言はそのままで、漢字にルビを振ったり漢字をひらがなに
直しただけのものが多いようだ。
ぐるりっとが教室を開いている山王会館の貼り紙には、
「きんきゅうじたいせんげんの かいじょをうけて しせつを りようするにあたっての おねがい」
とある。
英訳が添えられているだけ、冒頭の書類より親切なのだが、これを思い切って
「さんのうかいかんを つかうとき きをつけること」とすれば、
ずっとわかりやすくなるのではないかしら。
ただ、一口に「やさしい日本語」といっても、日本語を外国語として見たことがないと
どうしたら「やさしい日本語」になるかわからないかも、とも思う。
日本語の先生の出番は、こんなところにもありそうだ。
(ecu)