新学期が始まり、4月から担当したのは15歳の男子生徒だ。彼は7歳まで日本で暮らし、その後中国へ帰り、この3月に日本にご家族と日本に来た。中学就学前の日本語習得を目指しており、とても熱心で真面目に取り組んでいる。
あいさつの課では、実際の場面で使えるように「いただきます」と「ごちそうさま」をロールプレイで練習した。ことばの使い方を説明する時に、中国での食前食後あいさつの言葉について聞いてみた。その中で興味深かったのが、「いただきます」と「ごちそうさまでした」と同じ使い方のことばはないそうだ。しかし、食につながる動植物や関係者に対する感謝しており、気持ちは同じだと思った。
食材に感謝することで思い出したのが、宮澤賢治の童話「なめとの山の熊」である。主人公の猟師の小十郎は年老いた母と子供と暮らしており、他の仕事はなく、生活するためには、山の熊の胆と皮を売るしかなかった。小十郎は熊の理解者であり、熊も小十郎のことばが分かるようだった。小十郎は、熊に猟銃を向ける猟師であるが、熊の親子との出会いでは猟銃は使わず見逃すこともあった。また、標的にされた熊と約束を交わしそれをお互いに守ったこともあった。しかし、小十郎は後ろから大きな熊に襲われてしまった。
小十郎の亡き骸は熊たちによって山の高いところに置かれ、熊たちが取り囲んでいる姿はお祈りをしているように思えた。小十郎は笑みを浮かべているようだった。小次郎が亡くなり、熊が亡骸を囲み、祈りを捧げるように見える場面は印象的だ。小十郎はひとつの仕事を終えたように笑みを浮かべていた。小十郎と熊の関係は賢治の独特の世界観の物語ではあるが、お互いが生きていく上で避けて通れないように感じ、その中で感謝の思いが通じたからこそだと思う。
そんな思いが「いただきます」と「ごちそうさま」にある。生命のあるものを食するには、一方通行であったとしても、感謝の気持を唱えることは大切であり、食材を無駄にしない気持ちもその中から生まれてくると思う。この様に、言葉の勉強は、意味や使い方を学ぶ時に、その背景にあることも学ぶことが出来ればと思う。
ところで宮澤賢治で思い出すのが花巻と盛岡の風景だ。私は花巻に7年間住んだことがあり、その時受けた印象を75調にしてみた。
宮澤賢治記念館が小高い胡四王山(こしおうざん)にあり、そこから見る花巻市内の風景がとてもいい。胡四王山には春になるとカタクリの可愛い紫色の花が咲き、花が風で揺れ、さわやかな気持ちになる。
「春風に むらさきそよぐ 胡四王山」
花巻駅から盛岡に向かうと賢治の母校の盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)がある。高等農林学校は現在大学の附属農業教育資料館になっている。その周辺は緑が多く自由に散策ができる。学校の教室で賢治がすきだった音楽を聞く機会に恵まれた。
「農学校 双子の星の うた聞こゆ」
双子の星の歌は、星めぐりの歌(宮澤賢治作詞作曲)で銀河鉄道の夜にも使われている。
花巻温泉は心身ともにリラックスできる空間で、周りの自然と一体となることができる。露天風呂に入ると、その前に小川が流れていた。
「涼風に せせらぎやさし 出で湯郷」
花巻の少し郊外に出ると、のどかな田園風景を楽しむことができる。春は奥羽山脈からの雪解け水が花巻の田畑を潤し、実りを豊かにしてくれる。
「花巻の 輝く田畑 春の雪」
盛岡から見た夕方の山とその周辺にうっすらと霞がかかっており、幻想的な光景だった。
「みちのくを やさしくつつむ 山霞」
岩手の豊かな自然環境が生命への感謝の気持ちを育てたように思う。
(T.M.)