もう10年以上前になりますが、他の日本語教室に所属していた時、ニュージーランドから来日したばかりのラグビー選手の家に派遣されました。
選手、奥さん、8才の男の子、4才の女の子の一家で、誰も日本語はわかりません。
日本語の勉強以前に、電化製品の使い方の説明から始まりました。
週3回、一ヶ月限定で選手への学習を開始しました。
しかし、選手は午前中ハードな練習があるそうで、午後からの日本語の勉強は疲れてしまって、なかなか進まなかったり、休んでしまったり。とても大きな体で、謝る選手はかわいらしかったです。
選手が無理な時は、奥さんと勉強しました。日常生活は奥さんのほうが必要だと思うし、とても熱心に取り組み、家具や電化製品に日本語を書いて貼り付けたりしていました。
子どもたちとも遊んだり日本語で話しかけたり。
男の子は、公立の小学校へ行き始め、入ってすぐ夏休みになりました。
奥さんが、学校からの山のようなプリントや宿題にとても困っていました。
見るとその日が登校日。もちろん行っていません、先生は全く英語を使ってくれないと言っていました。
特別英会話ができなくても、この日学校に来て、ぐらい何故伝えられないのかと、とても腹が立ちました。
その上、ひらがなもわからないのに漢字ドリルの宿題って。
(現在は、小学校に英語圏の先生がいたり、日本語未習の外国人児童への対応はかなり変わってきていると思います。)
次の登校日に計算テストがあり、100点の答案用紙を嬉しそうに見せてくれました。
ここまでできる子なのに、言葉の問題で学力が落ちてしまうのではないか、と心配したものでした。
一ヶ月で一家とお別れしてしまいましたが、近くにぐるりっとのような教室があったなら、もしかしたらあったのかもしれない、と今更ながら考えてしまいました。
(JA)