ある著名なオーケストラ指揮者のエピソードより。
情操教育のため子ども達に楽器の習得を義務付けていた父親から、誕生日にバイオリンを贈られる。全くやる気の無い彼は三か月、いやいや練習をさせられる。バイオリンの教師が「この音は?」と尋ねると、当てずっぽうに答えていた。とうとう父親があきれて「やめさせよう」と言うと、普段は音楽教育に関心が無かった母親が「あと一か月だけやらせましょう」と言った。
不思議なことに、ある朝突然、彼は楽譜を全て読めるようになった。それがきっかけでバイオリンにも興味を持ち、ニ年後には演奏会で弾いたのだ。
これを新聞で読んで、私は思い当たることがありました。
姪が幼かった頃、何やらぺちゃくちゃ喋り始めたのですが、全く意味不明で、周りの者は皆「宇宙語」と言っていました。 「この子はいつまで宇宙語を話すんだろうね」周りの大人達は言い合ったものです。
人々が表情や身振り手振りと声でやり取りしていることはわかって真似ていたのでしょう。でも 声のやり取りに言葉を使っているとは思っていなかったようです。
そんな状態がしばらく続いたある日、姪は突然言葉を、日本語を話し始めたのです。あっという間に 普通のお喋りさんになってしまい、宇宙語を話すことは二度とありませんでした。
彼女の頭の中で何らかの化学反応が起こったのか、はたまたバラバラだった脳内回線がドミノ倒しのように次々に繋がったのか。 もう誰にもわかりませんが、急な変化が起こったことは確かです。驚くべき変化でした。
それまでたくさん言葉(音声)を聞いていて、そこに一気に意味や使い方が結び付いていったようなのです。
子どもがどのように学んでゆくのかは、私の想像を越えていてわからないものだと思いました。
しかし、脳内反応(?)が起こる時に、豊かな材料となるものを、たっぷりと与えておく必要があると思います。バイオリン教師が繰り返し教え続けたように、教師は、そして周りの大人達は種を蒔 き続けなければいけないのだと思います。小さな種であってもたくさん蒔けば、いくつか根付くで しょう。それをいつか子どもが成長の手掛かり足掛かりにするかもしれないのです。
授業をしていて、教えたことがなかなか生徒の身につかないなあ、と時に焦ったり、自信をなくし たりすることもありますが、また前を向いて続けて行きたいと思います。いつかどこかで花が咲く かもしれない種を蒔いているのだと信じて。
(SI)