現在「ぐるりっと」でD君を担当しているが、「ぐるりっと」の他に、ビジネスパーソンに日本語を教えている。そのうちの2人は教え始めて3年以上経ち中級~中上級レベルだが、中級以上になると様々な「たとえ(比喩)」がテキストの文章に織りこまれる。
たとえの中でも「~のようだ」のような言葉がなく、たとえであることがはっきりわからない隠喩(メタファー)は日本語学習者にとって初めて聞く表現が多い。
先日、生徒に使用しているテキスト内で、その「たとえ/メタファー」について掘り下げて学習する単元があり、今一度(日本語教師の資格を取得するために勉強した時以来初めて)「たとえ」について学び直して授業に臨んだ。
まず、「たとえ」は日本語だけでなくどんな言語にも存在するが、その表現はそれぞれの文化や考え方、気候風土により様々である。
テキストには「たとえ/メタファー」の一例としてこう記してあった。『日本では「目玉焼き」というが、アメリカでは「sunny side up」と言う。これは、日本人はこの料理に名前を付ける時、目の玉のようだと思い、アメリカ人は太陽を想像したのだろう。』
そこで「ドイツ語で目玉焼きは?」と尋ねると「Spiegelei」。直訳すると「鏡の卵」で、黄身の部分に光沢があって鏡のようだからこう呼ぶそうだ。
このように同じものでも、その「たとえ」の表現は言語によって様々である。
だが一方、同じような表現もあることがわかった。
例えば日本語では「彼と私は水と油だ。」というが、ドイツ語では「彼と私は水と石油だ。」と言うそうだ。「油」をより具体的に「石油」と表現するとはなんとも面白い。
ちなみに英語では「水と油」が逆で「oil and water」となるが、いずれも意味は同じで、よく似たたとえの表現である。
又、ドイツでじゃがいもの消費量が多いことは有名だが、それ故にじゃがいもを使ったドイツ語独特のたとえがあることも知った。
生徒が日本語に訳したものをそのまま記すと「一番馬鹿な農夫が作ったじゃがいもが一番大きい。」・・・このたとえは、物事をあまり考えていなくても偶然うまくいくことがある、という意味だそうだ。
食文化を反映したたとえの一例である。
「たとえ」は表現を豊かにしてくれ、簡単な言葉を使って難しいことを表現できる便利なアイテムだ。
又、「ぐるりっと」のD君も使える数が増えてきている「オノマトペ」も、自分の気持ちや状況を効果的に伝え、表現を豊かにしてくれる。
これからも生徒達が日本語らしい表現を使いこなすことができるよう、微力ながら尽力していきたい。
(J. I)