授業の中で扱うカードに、ロボットが登場するものがあります。
ない形の文型を学習する時によく使う絵カードです。
一枚は、たくさんの食器を前にして、困り顔の男性。
「お皿を洗わなければなりません」
もう一枚は、ロボットが代わりに食器洗いをしてくれる横でくつろぐ男性。
「お皿を洗わなくてもいいです」
この日は「ない形」を使った文型の復習で、この日の生徒は「なければ/なくても」だけでなく、その理由まできちんと説明して答えようと頑張っていました。
イラストのロボットは、四角い顔に可愛い目と鼻と口がついた、パッとイメージが浮かぶ感じの典型的な人型ロボット。私は特に迷いも感じず、「ロボットがいますから…」と答えを想像しながら絵カードを提示したのですが、「ロボットがありますから、お皿を洗わなくてもいいです」との生徒の答えに、はっとしました。
それはちょっと違うのでは?
いや、本当に違うのか?
2つの考えが同時に浮かんだからです。
「ある」と「いる」の区分け。
動物・人間が「いる」。
植物・物・食材が「ある」。
これでいくと、ロボットは「ある」が適当であると考えられます。しかし、私はイラストのロボットを見て「いる」を当てはめました。もしこれが人型ではなく、食洗機の進化版の様な形状であれば、間違いなく「ある」を当てはめたはずです。
では、人の形をしていたから…?
ドラえもんは(人型ではなく猫型ですが)「いる」だし、マネキンは「ある」。昔、軽やかにダンスを披露していたASIMO。「いる」は違う気がするけれど、「ある」よりは「いる」がでしょうか。親しみを感じていたら「いる」がしっくりくるようにも思います。
ぬいぐるみや人形は「ある」ですが、もしそれが幼い頃に友達のように一緒に遊んだものであれば、「いる」を使うと思います。
そう考えると、「ある」と「いる」の区分けは、そこに命を、更にはある種の「人間性」を感じるかどうか。その判断は、主観によるところが大きい気がします。
物に命が宿るという考え方がありますが、それは言葉とも結びついているのでしょう。親密さや愛着の度合いによって「いる」にも「ある」にもなる場合も多く、「ロボットがいる」も「ロボットがある」も、どちらが正解でどちらが間違いということもないのだろうと思います。
逆に言うと、そこに人格や人間性が存在すると定義をして言葉を扱うことで、「ある」は「いる」にもなるし、より親近感を持ってもらえるという効果があるのかもしれません。
また、「ある」と「いる」の分け方については、動いているものは「いる」。止まっているものは「ある」。という考え方もあるようです。「車があるよ」は止まっている車を想像し、「車がいるよ」は動いている車を想像する、というものです。
「車がいる」という言い方はどうもしっくりこない気がします。「車はある」は、確かに車が静止している状況をイメージするけれど、動いている状況であれば「車が来ている」「走っている」を使うのではと考えます。
しかし、中に運転している誰かがいるという前提で「車がいる」は、もしかしたら使うのかもしれません。
この「しっくりくる」基準を学習者に伝え、学習者が理解することは難しいことです。また、個人がそう思うということが一般的な解釈と合致しているかという部分も、常に気にしなければならない部分です。
動いているものは「いる」。
この考え方は、言葉の持つ揺れやすい部分を、いかにシンプルに学ぶ側にわかりやすく伝えるかの試行錯誤の結果なのかなという感じもしています。
(N)