表面上の日本語スキルを習得するだけの働きかけでは何か足りない。
こどもに対する日本語教育は、大人に対する日本語教育の働きかけとは異なるものがあると感じる。
自分にとって何が「よい」のか、そして今「何」が「なぜ」必要なのかを自分で認識したうえで求めて学ぶ大人とは異なるのだ。
今の我々が「いい」と思うものが、子ども達の未来でも「いい」とは限らない。
そんな不確かなものだらけの世界で今、私がぐるりっとでしている日本語教育とは何なんだろう、とよく考えている。
まだ考えのど真ん中のため、粗削りで、スッキリした答えを導き出せてはいないが、ぼんやりと辿り着いた考えがある。
「多くの体験を経験する中で関心をもつことの楽しさ、人と関わることの充足感を知り、自ら求めて探究に向かう子になってほしい」と祈りのような願いを自分の中に見つけた時、
そうなるための手段としての日本語習得であり、その日本語教育を自分は担っているんだなと少し霧が晴れたような気がした。
「今の小学生が将来就く仕事の65%は今ない職業」というネットニュースを見たことがある。
パーセンテージの信憑性は問われるが、今の我々には想像し得ない職業が出てくることは間違いないだろう。
そんな目まぐるしく変化する時代の中で母国を離れ日本で生活を送る子どもたちが、自分の意思で、その力で、自分の人生の主役になっていく姿が楽しみだ。
(Asky)