日本語教育に携わっている人ならおそらく誰もが思うことだろう。
「日本語の教科書は高い」
日本語の教科書が高いのは今に始まったことではない。まだ初々しい日本語教師だったころのことだ。学生たちの頭の中でごちゃごちゃになっている接続詞や副詞を整理して教える教材を探して本屋をめぐっていた時どの教材を見ても「高い」と思ったものだ。そのうえ、専門的過ぎて小難しい。もっとも当時は日本語教材そのものが多くなかったこともあろう。
そんな時、家の近くの本屋でふと中学生の国語文法の教材を手にした。内容は単純明快でドリルまでついている。まさしく私が欲しかったものだった。値段も比較にならないくらいに安い。即購入し、ずいぶんと私を助けてくれたものだった。
今では日本語教材も研究されてきて優れた教材が増えた。しかしながら「高い」!
学校によって対応は違っていたが、教師には教科書は支給されていた。それがいつの間にか貸与になり、必要なら特別価格での買取になった。初級なら一冊で済むが、それ以上になると複数冊になる。なかなかの出費だ。なのに、学生諸君は学費に含まれていてその価値が理解できないのか粗末に扱う輩も相当数いた。
翻って、ぐるりっと日本語教室でも教科書は頭が痛い問題になることがある。学習者がすでに準備していた教科書があって新しく教科書を買いたがらなかったり、教科書の価格にひるんでしまったり。高いなあと思っているゆえに「教科書を買ってください」というのはかなり心苦しい。
学習書は買い求めやすい価格にできないものだろうかと常々思う。
(トンボ)