「ぐるりっと」の日本語の先生は、 日本語教育能力検定の合格者や日本語教師養成講座を修了された方は勿論、長年日本語教師としてお仕事されてきた方など、ベテランの先生が殆どです。そんな中、私はまだ目下勉強中。しかもなんせ海馬が老化しているので進捗スピードがかなり牛歩です。それでもそれなりに、児童教育経験などを活かしつつ、”習うより慣れよ”の格言で自ら励まし、取り組んでおります。
それにしても日本語はとても奥が深いです。深い底までは到底まだ精通しておりませんが、深いという事は実感しております。例えば日本語独特の格助詞になどについては、その解析だけで本が一冊書かれるほどです。今のようにIT技術が飛躍的な発展を遂げるまでは、変形生成文法などの言語研究が、人工言語や自動翻訳の発展につながると期待されていました。ところが、それを完璧に達成することは相当に難しいことでした。そして今では文法解析に頼るよりもむしろ、指数的に発達した半導体技術によって、コンピューターの深層学習(ディープラーニング)の実用化が進んでいます。つまり…文法を正確に体系化させてインプットし、それを通して言語をアウトプットするよりも、実例を全力で経験しつつ、神経細胞(ニューロン)を模したネットワークで処理する方が合理的…となった訳です。まさに”習うより慣れよ”です。
AIの精度は、時に人間の認識精度を超えると言われています。元々AIは私たち人間が開発したものですが、なんだかちょっと悔しいような気がしてしまいます。人間はチェスに続いて囲碁も将棋もAIに負けてしまいますが、そのことに何か必要以上の脅威を感じます。自動翻訳に関しても、近年でかなりの進歩を遂げていると思います。翻訳家や通訳者にとっては脅威です。
では人があえて母語以外の言語を学ぶ意義は何でしょうか。スマホやPCを介せずにコミュニケーションを取れるメリットが勿論一番ですが、それよりもその言語の背景にある文化を学べることだと私は思います。そして文化を学ぶということは人を学ぶということです。奥が深い言語の、奥深くを学習することで、AIでは感じられない人間ならではの”情緒”を愉しめるようになるのだと思います。
「ぐるりっと」は日本語の教室ですので、当然日本語の文法を学習しますが、その”習う”部分に加えて”慣れる”要素も重視していると思います。特にまだ母語も完全でない子どもたちが生徒なので、実例を全力で経験するための素地を整えてあげることが一番大切なのではないか…と素人教師ながらに考えるのでした。
(KogomiK)